宮城県 気仙沼市 からくわ。 手間ひま愛情たっぷりの自慢のつなぎ牡蠣。
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盛屋水産の 盛屋 とは 菅野家の屋号です。
気仙沼市唐桑町では多くの家に屋号がついており、今でも普通に使っています。 こんなものまで発行されているぐらい! ![]() 盛屋水産の「盛屋」は、社長 和享(やすたか)の祖父の「盛一」の名前からきました。 実家は気仙沼市松岩という地区にあり、早くに両親を亡くした盛一じいさんは縁あってここ唐桑町鮪立に移り住み、牡蠣養殖を始めました。 100年近く前の話です。 その時、近所の方たちが 「地域がますます盛り上がりますように」 との想いも込めて付けてくださったのが 盛屋 という屋号の由来だそうです。 唐桑では、屋号というのは、 実家との関係(〇〇別家、〇〇新屋、など)、 場所(〇〇向かい、〇〇後ろ)、 その時の職業(〇〇パーマ、〇〇牛乳や)、 など自然発生的(?)につくことが多いようです。 そんな中、近所の方たちの願いが込められた 盛屋 の屋号。 「地域がますます盛り上がりますように」。 盛屋水産、今日も頑張ります! ![]() 3.11の津波で加工場は全壊し、養殖用筏、一艘を除き船、養殖機械・用具類はすべて流出しました。
地盤が下がり満潮時は冠水するため、海べりにはまだ作業場を建てることができません。 そこで! 海の上に小屋を浮かべ、作業開始しました。 手作りの作業小屋が完成して2週間ほど。 小屋の外枠は津波で壊れたものを譲っていただき、大工さんにお願いして屋根などを修理。 ![]() 床材は、愛媛県新居浜のボランティアの方々がトラックではるばる新居浜から運び込み提供してくださいました! 床を敷き詰める作業は社長 和享(やすたか) 頑張りました。 ![]() 岸壁が崩れないよう応急措置の土嚢が積み重なっています。 応急措置がなされているのはまだ湾のこちら側だけ。 そこにただ1つぽつりと浮かぶ弊社の作業小屋。 ちょっと寂しい光景です。 ![]() 全壊した弊社のかつての加工場が湾のあちら側に見えます。 ![]() 先週はこの作業場で帆立の種の耳つり作業をしました。 作業中の一代(いちよ)とあや子。 ![]() ![]() 11/24にはRQ災害ボランティアセンターのみなさんが、車で1時間半かかる登米(とめ)の拠点から駆けつけ、作業を手伝ってくださいました。 本当にありがとうございます。 お昼時、現在の自宅でのくつろぎの一時をパチリ。 ![]() RQの皆さんには、7-8月の牡蠣の種付け作業時にもお世話になりました。 帆立の作業が終わり、牡蠣の種付けを再開する頃、またお世話になります。 ちなみに現在の自宅は、3階まで波をかぶり全壊した以前の自宅のすぐ後ろの家。 1階の天井近くまで波をかぶった所をなんとか取り繕って生活しています。 別の部屋の床は剥がしたままでさっぶい! つい最近まで、玄関のドアもブルーシートで覆われていましたが、やっと立派な引き戸がつきました。 大工さんも大忙しなので、きちんと直せるのはいつになることでしょう... しかし菅野家は今日も元気! 今日もがんばっぺし! ![]() 東京で開催される説明会に弊社が参加致します
ミュージックセキュリティーズ 11/30説明会 こういう時は 一代(いちよ)の出番。 ぴかぴかの笑顔と切なる想いをひっさげて 東京は丸の内、行ってきます。 ![]() 家族3人で運営しています。
社長 和享(やすたか、54)、 妻 一代(いちよ、ご想像にお任せします♡) 和享の母 あや子(80!) 若さでぴちぴち、とは言いがたいメンバー構成ですが、 震災後の大変で寒い時期から現在に至るまで、 3人とも風邪一つ引かず健康に過ごしてきました。 震災前の冬の牡蠣剥きシーズンには、牡蠣を殻から外す「剥き子(むきこ)」さん約10名、 牡蠣や殻の運搬に男手3名に手伝ってもらっていました。 現在は不定期で大勢のボランティアの方のお世話になり、 帆立の種はさみ養殖準備に取りかかっています。 つなぎ牡蠣事業を開始するに当り、 弊社の牡蠣再開を熱く応援してくださっている株式会社 斉吉商店の 斉藤和枝専務 を事業部長に迎え、 知恵と元気をもらっています。 また、牡蠣生産再開に全力を挙げる盛屋水産に代わり、このブログは唐桑在住で菅野家の親類 熊谷理佐子 が盛屋水産の依頼を受け発信しています。 商号 有限会社 盛屋水産 所在地 宮城県気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)81番地 代表者名 菅野和享(かんの やすたか) 電話番号 0226-32-2264 事業内容 (定款より)わかめ・牡蠣の養殖•販売。魚介類の養殖及び加工販売。漁業及びその他の水産業。 資本金 500万円 設立年 平成1年6月13日 役員 代表取締役 菅野和享(やすたか) 監査役 菅野一代(いちよ) 取締役 菅野あや子 決算日 1月31日 ![]() 宮城県気仙沼市唐桑町(からくわちょう)。
この地の鮪立(しびたち)湾で 3代約100年にわたり 牡蠣の養殖をしている漁師一家 家族3人でやっている会社 それが 盛屋水産 です。 自慢は 手間ひま愛情かけた 弾力のあるぷりぷりの こんな牡蠣です。 ![]() 夏は温湯処理 (温水に牡蠣をつけ、周りについた海藻や貝を除く作業)、 冬はつなぎ牡蠣作業 (岩のように重なった牡蠣を ひとつひとつ手作業で外し ロープに付け替える作業)、 1年をとおして 静かな流れのある「潮とおし」の良い場所への 牡蠣筏の移動、 これらすべてを牡蠣1個1個に十分な栄養を与えるために行っています。 2011年3月11日。 加工場、養殖用の筏・一艘を除き所有していた船・機械・用具類、すべてが津波により全壊・流出し、 自宅は流出こそ免れたものの3階まで達した波により全壊しました。 前年2月のチリ地震津波の被害から立ち上がりつつあった矢先のことでした。 こだわりの方法での牡蠣生産を諦め、グループ単位で始まった牡蠣生産を 淡々とこなそうと思ったこともありました。 しかし、自ら被災しながらも弊社の牡蠣に惚れ込んで再開を待ってくれている 気仙沼の水産加工業者 株式会社斉吉商店さん を始め、 過去に訪れた弊社のことを心配し 応援してくださるたくさんのお客様、 鮪立地区を拠点とし 活動してくれているボランティアの方々 みなさんとのふれあいをとおし、 再び立ち上がる元気と勇気が湧き上り、今、新たな夢を描いています。 とびきりの牡蠣生産技術と、残った家と、助かった自分たちの命。 すべて活かすことにより、みなさんに喜んでいただき、ご恩返しがしたい。 応援してくださった皆さんが、 気兼ねなくこの地を訪れ、成長した牡蠣を見たり食べたりし、 この土地を 益々好きになってくださる仕組みを作りたい。 生産者と消費者として、また人と人として、 末永くつながっていきたい。 そんな想いを込め、 このたび株式会社ミュージックセキュリティーズさんのファンドで支援を募り、 壊れた家屋を修繕し、 みなさんとのつながりの拠点として活用したいと考えました。 海の恵みを受け丹精込めて作った牡蠣を、 自分たちが率先して直接消費者のみなさんにお届けし、価値を認めていただくことにより、 より良い生産につながる。 漁業っていいな、と感じ 養殖を営む後継者が育ち 漁業が次世代につながる。 この地域と漁業の再生産につながる。 「つなぎ牡蠣」による いろんな「つながる」を目指して、「つなぎ牡蠣事業」発足します。 これまでは魚市場や販売業者さんを介してのお客様とのつながりでしたが、 つなぎ牡蠣により生産した牡蠣の直販を開始致します。 それに先立ち、 養殖筏での見学体験、わかめや牡蠣の水揚げ体験、 安全が確保できる程度に修繕したかつての「唐桑御殿(*)」で 飲んだり食べたりくつろいだり、 気仙沼市唐桑地区の美しい自然と暮らしぶりを体で感じていただき、 つなぎ牡蠣の成長ぶりを楽しんでいただけるように致します。 自慢のとびきりの牡蠣が完全復活するのは、2015年頃の見込み。 まだ4年後の話です。 その間、少しずつ復興し生産が戻ってくる様子を、このブログを通じみなさんにお伝えします。 大きく育った牡蠣を共に喜ぶ日を目指して。 *「唐桑御殿」:遠洋漁業で栄えた気仙沼市唐桑地区で船頭や乗組員が競うように建てた入母屋造りの勇壮な家屋。 ![]() |