宮城県 気仙沼市 からくわ。 手間ひま愛情たっぷりの自慢のつなぎ牡蠣。
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クリスマス終わりましたね。
盛屋水産を営む菅野家にも嬉しくてしょうがないクリスマスプレゼントが先週末届きました。 愛媛県新居浜のみなさんより、現在の自宅の床の施工のプレゼント! ![]() 現在の自宅はかつての自宅の1軒後ろ。 かつての自宅より少し高くなっているため、2階は無事だったのですが、1階は天井近くまで波をかぶりました。 何とか取り繕って居間と台所、トイレと風呂場は使っていますが、その他の部屋は床を剥いだままの状態でした。 寒さ厳しいここ唐桑、下からの冷気で寒くて寒くて... 大工さんは順番待ちでいつ直せるのか分からない窮状を、新居浜のボランティアのみなさんが救ってくださいました! 床材は我が家で購入したのですが、それを愛媛から運び入れ、きれいに敷き詰めるのを一手に引き受けてくださったの新居浜のボランティアのみなさん。 丸一日と少しかかった作業の合間に 我が家の居間でお昼の休憩中です(ピンぼけ写真でごめんなさい...) ![]() 新居浜のみなさんの ここ唐桑町鮪立(しびたち)訪問は今回で4回目。 鮪立に一番始めに駆けつけてくれたボランティアさんです。 5月にはるばる愛媛からユンボ、ダンプ、ショベルカーなどの重機を運び入れ、瓦礫の山を片付けてくれた時の感動は忘れません。 その後も地区での炊き出しや、盛屋水産では現在の作業小屋の床材を提供していただいたり(「現在の作業小屋」をご覧ください)、と大変お世話になっています。 今回は2チームに分かれ、南三陸町や歌津でも作業されたご様子。 本当にありがとうございます。 さてさて そして更に嬉しいことが 我が家に。 1階はあちこち修理が必要な現在の自宅ですが、大工さんの順番が遂に回ってきました! いいこと続きの年の瀬。 お仕事も頑張れそうです! 養殖作業は帆立の種はさみ作業が終了し、いよいよ牡蠣に移ります。詳しくは別途ご報告させてくださいね。 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 盛屋水産を熱く応援してくださる 気仙沼の水産物加工会社の斉吉商店さん
斉吉さんとの会話をつうじ 3階まで波をかぶったかつての自宅 「唐桑御殿」 を残すことを決めました。 (詳しくは 「かつての自宅を残す その1」をご覧ください) 心に決めたものの 心に決めたはずが 養殖のこと、今の自宅のこと それから この残すことにする家を具体的にどうしていく?という 目の前にある膨大な「どうしよう」を前に 「かつての自宅を残す」と 決めたはずの心が 翌朝にはしぼんでいたりすることもありました。 それでも ボランティアさんや親戚の助けにより ゆがんだ天井がはがされ 危ないベランダが取り去られ 掃除と片付けが進み かつての住まいが少しずつキレイになっていくのを目の当たりにしていくうちに 「壊すなんて 本当にもったいない」 そして何より 全くの他人である我が家のために 何かしてあげたいと遠くからわざわざやって来てくれ こんなにも一生懸命家をきれいにしてくれる このボランティアさんたち 彼らと会話し 笑い 応援をもらうことで こちらの元気 やる気 勇気が じわじわと湧いてきました。 「また絶対来たい」 そう言ってくれるボランティアさんたちの言葉が 本当に嬉しく胸に響きます。 手伝ってくれたボランティアさんたちが帰ってこれる場所にしたい みんなが集まれる場所にしたい 残すことにした家をどう使うか、斉吉さんと話したおぼろげな形ー 盛屋水産の仕事ぶりをみてもらい、唐桑の自然と漁師生活とおいしい食べ物を体感してもらえる場所にするー ボランティアの方たちを思う時 その形に 命が吹き込まれた気がしました。 理想 として遠くにあったものが ぐっと自分の気持ちのそばに引き寄せられた気がしました。 そして7月のある日 ここ唐桑町に震災直後からボランティア入りし、今ではこの地での各種ボランティア団体のとりまとめ役となっている青年から 提案が。 「この夏は、学生はじめたくさんのボランティアが来ます。この3階建てで、寝泊まりできるようしませんか」 家は人が出入りしないと痛みます。 かつての自宅を清掃するたびに それをひしひしと感じ 自分たちの生活していた家が荒れている様が悲しくて仕方ありませんでした。 ここにまた人が住んでくれるんだ! また電気がつくんだ! まだ家の使い方の具体案がまだ定まらない中、この家を活用してもらえるんだ! そこから わらわらと本当に応急措置の修理が始まり、Gakuvo (日本財団学生ボランティアセンター)さんと契約し、電気と水道が引かれました。 運営はすべてGauvoさんが行い、我が家はいわば「大家さん」でノータッチ。 泊まっていく学生ボランティアたちは我が家のボランティアとは限らず 広くこの町の復興のため活躍してくれる若者たち。利用開始の8月から現在12月まで延べ400人は超える学生が寝泊まりしていると思います。 海寄りには住む人がいなくなった真っ暗な鮪立(しびたち)の夜にともる かつての自宅の灯りと響く若者たちの笑い声。 挨拶を交わししゃべったり、時には一緒に飲んだりして 若い力に どんなにか 元気をもらったことでしょう。 「また来たい」 「今度は両親を連れて来たい」 「こういう家に泊まれて本当によかった」 そんな言葉を聞くたびに 気持ちの揺らぎが止まって 夢が膨らみます。 「かつての自宅を残す」 もう心は決まりました。 盛屋の牡蠣養殖2代目が頑張って建てた 思い出いっぱいの家。 学生ボランティアたちが住んで再び命をふきこんでくれた家。 斉吉の社長さんがおっしゃった 「形あるものは強いよ」 本当です。 目の前で息を吹き返す かつての自宅に 背中をポンと押されました。 被災地応援ファンドに寄せてくださるみなさんのご厚意は、牡蠣養殖には使用せず、このかつての自宅を 訪ねてきてくださるみなさんのお休み処として活用できるような修繕・準備に 使用致します。 盛屋水産の牡蠣をこうして待っていてくださる皆さんが 牡蠣の成長ぶりを見に来て、気兼ねなしに ゆっくりできるようなお休み処 を目指します。 大掛かりな修繕は致しません。 でも 煮炊きはカセットコンロだけ、 抜けた天井はとりあえずの板を施しただけ、 用を足せるようとりあえず壊れたドアを取り替えただけのトイレ、 という今よりは もう少し修理が必要です。 細かいいろんなことをこれから決めていくことになりますが 決まっていることが一つ。 お休み処の壁は この旗が飾ることになるでしょう。 一代(いちよ)とあや子が持っているのはGakuvoの学生ボランティアの方たちがプレゼントしてくれた寄せ描きアート 大漁旗 です。 ![]() 国際色豊かな学生ボランティアたちが贈ってくれた賑やかな大漁旗 ![]() へこたれそうな心を励ましてくれた証(あかし)である この大漁旗が お休み処の壁を飾る日が間近でありますように。 そして応援してくださる皆様との新しいご縁が この大漁旗をここで眺めながら 深まりますように。 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 盛屋水産を営む菅野家。かつての自宅は 「唐桑御殿」と呼ばれる3階建ての家でした。
「唐桑御殿」とは、遠洋漁業で栄えた気仙沼市唐桑地区で 船頭や船員が競うように建てた 入母屋造り(いりもや づくり)の勇壮な家です。 入母屋造りでは 屋根の構造が 上部が2勾配(切妻造り)、下部が4勾配(寄棟造り)となっており、 日本では古来より格式の高い建築様式のようです。 下の写真は分かりやすい唐招提寺の例(wikipediaより著作権放棄の写真をお借りしました)。 ![]() そしてこれが盛屋水産の「唐桑御殿」、かつての自宅 2011年12月現在の姿です。 現在の社長 和享(やすたか)で 牡蠣養殖3代目ですが、和享も含め、養殖を継ぐ前は代々船乗りでした。 この「唐桑御殿」は2代目の信一(故人)が建てた家です。 ![]() 2011.3.11、ここ気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)には20m以上ともいわれる波が押し寄せ この家は外側は残ったものの、中は天井などもこわれ全壊しました。 下の写真は震災当日 津波第1波の後の家を 近所の方が撮っていたものです。 ![]() この家よりも海岸寄りにある土地では、ご近所の家がすべてなくなりました。 下の写真は 弊社を訪ねてくださった気仙沼の食品加工 斉吉さんが撮ってくださった6月時点のもの。 かつては この家からは こんなにも海は見えませんでした。 大勢のボランティアの方々が この家の前にあった呆然とするような瓦礫の片付けを 手伝ってくださいました。 ![]() それでも6月末時点では ここ鮪立(しびたち)にはまだまだ 下の写真のような状態がたくさんありました。 ![]() 震災直後から6月までの3ヶ月間は避難所生活を送りました。 避難所生活はプライバシーはありませんが、みんなで助け合い励まし合い、 再開のための多くの情報を得ることができました。 5月からは地域の同業者でグループを作り、助成金を活用して養殖準備再開。 6月に、かつての自宅より少し高い位置にある1軒後ろの家ー そこも1階の天井近くまで波が来たため片付けと掃除が大変でしたがー その家を購入することを決断。 親戚やボランティアの方々の力を借り、なんとか住める状態にして、新しい自宅での生活が始まりました。 新しい家もこれから修理していかなければならない中、かつての自宅をどうするか 大変悩みました。 そのままではとても住める状態ではなく かといって 立派に残っている部分も沢山あり 壊すにはしのびない。 けれども 現在の自宅とかつての自宅 2軒も家を修理 手入れ 管理するなど 仕事道具のすべてを失い養殖再開に奔走する中 到底できません。 そんな6月半ばのある日 弊社の牡蠣を加工している 気仙沼の食品加工業者 斉吉さんが訪ねてきてくださいました。 自身も津波による甚大な被害を受けた斉吉さんでしたが その頃既に事業再開のため猛スピードで懸命に努力を重ねていらっしゃいました。 5月半ばにはミュージックセキュリティーズさんの「被災地応援ファンド」でいち早く必要資金を集め、待ってくださっているお客様のため一日でも早い再開に全力投球中。 そんなお忙しい中、弊社を訪問してくださり、勇気づけて背中を押してくださったのです。 その時の斉吉の社長さんのお言葉「スピードが大事」「変わっていかなくちゃ」 そして専務の和枝さんの言葉からあふれる 気仙沼 そして唐桑の 風土と暮らしぶりへの愛情 漁業を守り発展させることへの情熱 お二人の言葉が頭と体をぐるぐると駆け巡ります そして話が以前の自宅に及んだ時 「壊すなんて もったいない!!」 「形あるものは強いよ」 津波によりいろいろなものを失った社長さんの言葉が 津波によりいろいろなものを失った心にしみていきます 盛屋水産の仕事ぶりをみてもらい、唐桑の自然と漁師生活とおいしい食べ物 それを体感してもらえるそんな場所にしてはどうか... その時は もっとおぼろげな形で 実現する方法も定かではありませんでしたが、 かつての自宅は残す! そのことだけは、斉吉さんとの会話の中で 心に決めたことでした。 つづく 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 11/30に東京であったミュージックセキュリティーズさんの被災地企業応援ファンド説明会。
その説明会に参加され、それまで盛屋水産のことを知らなかった方が、東京から早速牡蠣を見に来てくださいました。 記念すべき初めてのお客様! ナカヤ様、ご友人の皆様、ありがとうございます。 ファンドで集めさせていただく資金を使い、訪ねてくださる皆様のお休み処として活用していく かつての自宅 「唐桑御殿」 の前で いちよ&親戚の子どもと記念撮影です。 ![]() 外観は立派に見えるこの「御殿」、3階まで津波が達し、内部は今もまともの生活が送れる状態ではありませんが、縁あって 今は写真にも映っている旗 GAKUVO (日本財団学生ボランティアセンター)さん の寝泊まり場所として提供しています。この話はまた別途。 さて、記念すべき初めてのお客様に見学していただいた夏に種付けをしたまだまだ小さい牡蠣たち。 こちらもおいおい写真を載せていきたいと思います。 来年どれだけ大きくなったか 是非また見にいらしてくださいね。 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 12/3(土) 雨の降る寒い朝。
神奈川災害ボランティアセンターのみなさん約30名が ここ鮪立で養殖作業やがれき撤去作業を手伝ってくださいました。 うち、5名が盛屋水産の帆立の種の耳つり作業に。嬉しいことに養殖作業は人気です。 これが じゃんけんを勝ち抜いて作業についてくださった5名のみなさん! ![]() 左奥からアオキさん、ノセさん、スガヌマさん、いちよ、 右奥からイケダさん、フジシマさん、あや子 午前中に6,000個(!)の帆立の種の耳つり作業をし、午後からは海に沈める作業です。 耳つり作業とは、帆立の貝の脇に開けた小さい穴にテグス糸をとおして綱につける作業。 こんな感じでです。 ![]() ![]() 帆立の貝が重ならず一枚になっているところに穴を開けるのが、栄養をよく行き渡らせるためのコツだそうです。 その穴あけをこなしてくれる優秀マシーンに帆立を次々に送り込む社長。 加工場、機械、すべて津波で流されたため、機械は震災後、頑張って買いました。 ![]() ![]() 帆立を機械にセットするだけなので楽チン? いえいえ、穴を開ける帆立を小屋の外、つまり海から機械のところへ持ってきて... と なかなかガテン(死語?)な労働です。 ところで、その日は波高し。 海に浮かぶ 盛屋水産の現在の仮の作業小屋。 みなさん ゆらゆら揺れながらの作業です。 9時から作業を開始して2時間半経過したころ、あくびが出始めた写真左上から2番目のノセさん。 「あ、あくびが出始めると、くるよ〜」と一代。 船酔いの前兆です。 作業開始後すぐにダメ〜、となる方もいるようなので、5名のみなさん、ここまで大丈夫だったのがスゴいです! ちなみにノセさん、午後は撃沈だったそうで...本当にお疲れさまでした。 その他の皆様は 午後の作業も順調にこなされたそうで、さすがじゃんけんに勝った最強メンバー! 悪天候の中、本当にありがとうございました。 ちなみにみなさん、 0泊3日のハードスケジュール!! 金曜日の夜9時頃 横浜をボランティアバスで出発 土曜日の朝9時から午後3時頃まで 唐桑で作業 日曜日の朝5時 バスで横浜帰着 寝不足は船酔いになりやすいそうですが、無理もない! 11月から毎週末、ここ唐桑の鮪立にこの神奈川ボランティアバスが到着し、がれき撤去や養殖の作業についてくださっています。 盛屋水産も当初よりお手伝いいただいており、感謝の気持ちでいっぱいです。 さて、この帆立たちは北海道は留萌(るもい)生まれ、そして ここ唐桑ですくすく育ち、春には食べ頃になります。 盛屋水産の帆立種 耳つり作業は あと2週間ほど続き、その後は いよいよ 夏から始めている 牡蠣の種つなぎ作業の再開です。 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 12.3付のブログ記事の中で、説明会での専務 一代(いちよ)について
「いちよさん 少女みたいでしたよ!」 とのコメントを読者の方からいただいた、と記載しましたが、 それは緊張して、との意味ではなく、かわいかった♡という意味だったとのこと...取材不足、すみません! 当日お褒めいただいた一代はこんな感じ ![]() 説明会に応援にきてくださった、かつてボランティアで盛屋水産に来てくださった方から、当日の様子の手作りアルバムをプレゼントしていただき、とても感激している一代です。 ![]() 吉田美香さん、アルバムと写真ご提供をどうもありがとうございました! さて、一代は いつものかっぱ姿に戻って今日も頑張ります! ![]() 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 11/30と12/1に 東京で開催されました 被災地応援ファンド説明会、無事終了致しました。
ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。 このブログにいただいたコメント 「いちよさん 少女みたいでしたよ!」 から、初日の緊張の様子が伝わってくるようでした。 助け舟を出してくださった ミュージックセキュリティーズの杉山様、学生ボランティア引率で唐桑によくお越しいただいているジェイさん、そして一生懸命聞いてくださった皆様、ありがとうございました。 会場では特に質問などはなかったようですが、 「早く牡蠣が食べたい」 「おいしいものを食べるのに、ネット通販は手軽で助かる」 「牡蠣の養殖は全部一緒かと思った。こんな風に手を掛けているなんて初めて知った」 など皆様の温かい声を直接聞くことができ、 ますます頑張ろうという気持ちいっぱいの盛屋水産です。 ありがとうございました。 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() 今日は東京 東銀座で 13:30より 被災地応援ファンドのミニ説明会があります(〜15:30)
ミュージックセキュリティーズ 12/1 開催 被災地応援ファンドミニ説明会 専務 一代(いちよ)、今日も想いを語って参ります。 昨日11/30の丸の内の説明会。 足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。 大勢の方の前で改まって話すのは初めての一代より 「凄く緊張したけど何とか無事終わったよ」 とのメールが夜中に入っていました。 当日いただいたご質問など、別途このブログで報告したいと思います。 皆様、ありがとうございました。 「盛屋水産 つなぎ牡蠣ファンド」の詳細・お申込はこちら ↓ http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=218 ![]() |